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    <title>日本の世界遺産歩き</title>
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    <subtitle>日本の世界遺産歩きです。このサイトでは日本が世界に誇る世界遺産の数々を渡り歩く参考書としてサイトをご準備いたしました。</subtitle>
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    <title>醍醐寺</title>
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    <published>2009-01-21T13:40:07Z</published>
    <updated>2009-01-21T14:13:55Z</updated>

    <summary>日本の世界遺産の醍醐寺について紹介しています。三宝院の庭園はそれは見事な景色を見せてくれます。</summary>
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        <![CDATA[<p>醍醐山すべてを境内とする日本の世界遺産である醍醐寺。広大な寺域内の主な見所は、山ろくの下醍醐、山上の上醍醐、塔頭寺院の三宝院の、大きく3つに分かれる。そして、世界遺産として価値を認められた建物の中で、代表的なものの一つが、下醍醐の一角に建つ五重塔だ。<br />
これは951（天暦5）年に建造されて以来、応仁の乱による焼失も免れた、日本の世界遺産が多く点在する京都で最古の木造建築。高さは約38ｍだが、その3分の1を屋根から伸びる相輪が占めていることに注目。どっしりとした重量感を感じさせるのは、このためだ。名塔の呼び声が高い、骨太の塔である。</p>

<p>下醍醐から細くうねる山道を登ること、約1時間半。醍醐寺発祥の地である上醍醐では、木の間隠れに諸堂が点在する。この寺が山岳寺院だったころの面影を強く残す上醍醐では、信仰の地の霊気に浸りたい。</p>

<p>そして、最大の塔頭寺院である三宝院では、豊臣秀吉みずから設計した庭園を愛でよう。大量の巨石を惜しげもなく使い、土、橋、板橋、石橋、三段の滝や二つの中島などを配した庭は、ダイナミックかつ華やかで、天下人にふさわしい豪華版。</p>]]>
        
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    <title>法隆寺</title>
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    <published>2008-12-28T16:58:13Z</published>
    <updated>2008-12-28T17:57:44Z</updated>

    <summary>法隆寺は日本の世界遺産に登録されている奈良のお寺である。その中には多くの国宝が収められており日本で最初に世界遺産に登録されたものの一つでもある。</summary>
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        <![CDATA[<p>法隆寺は、姫路城や屋久島、白神山地とならび、日本の世界遺産第一号である。世界最古の木造建築があり、そして建物が美しく後世の建築に大きな影響を与え、日本仏教史でも重要な役割を果たしたこれが世界遺産に登録された理由だ。<br />
貴重な建築もさることながら、ここは日本が誇る仏教美術の宝庫でもある。仏教彫刻だけで、なんと650体もあるのだ。その中でも一押しなのが観音菩薩立像、いわゆる百済観音だ。2ｍを超える像高で、なんともうらやましい細みの8頭身スタイル。優雅なボディラインに、しなやかな指先。それだけでも人々を魅了するには十分だが、この観音様。とてもなぞ多きお方。いつから日本の世界遺産である法隆寺にあるのか寺に記録がなく、国産か伝来物か、どこにルーツがあるのかなども、今もって不明である。法隆寺には他にも、なぞの寺宝が多い。金堂の釈迦如来が浮かべる、アルカイック・スマイルと呼ばれる謎の微笑。この仏像を作った止利仏師も、名前は広く知られていても、その招待は不明だ。さらに、玉虫厨子もどこでつくられ、何が収められていたのかもわからない。これら超有名な寺宝にまつわる、さまざまな謎。だからこそ、よりいっそうひきつけられる。</p>

<p>法隆寺には「世界中どこを見渡しても、これ以上古い本の建物はない」という建物が10棟ある。金堂、五重塔、中門、回廊、経蔵、東室、食堂、東大門、夢殿、伝法堂である。完成後１３００年以上を経た木造建築が、朽ちかけるわけでもなく、今も造られた当時と同じ美しい姿で建つ。これをやってのけたのが、飛鳥時代の工人たち。<br />
硬い地盤の場所を選び、耐用年数の長いヒノキを木材に選び、そのうえで匠の知恵と技術を集結させた建物。それが法隆寺だ。</p>

<p>江戸時代頃より法隆寺に伝わる七不思議の中には、「クモが建物に巣を張らない」、「スズメがフンをしない」というのがある。<br />
悠久の時を超えて、どこまでもスマートにそびえる五重塔や金堂を眺めていると、クモやスズメが遠慮するのも当然だろうという気になってくる。</p>

<p>百済観音堂<br />
東西に分かれた大宝蔵院の中心となる建物で､百済観音専用のお堂。左右の建物とは渡り廊下でつながっている</p>

<p>参上御堂<br />
鎌倉時代に再建された建物で、平安時代の釈迦三尊像と室町時代の四天王像を安置する。毎年11月1～3日に公開</p>

<p>西円堂<br />
藤原不比等の発願で建設され、鎌倉時代に再建された。日本最大級の乾漆像といわれる尊薬師如来座像を安置する</p>

<p>綱封蔵<br />
奈良時代の宝物庫で、大宝蔵院完成以前に寺宝が納められていた。法隆寺にはかつてこのような建物が33棟あった</p>

<p>食堂<br />
創建時の寺務所が、平安期に僧の食事の場に。南側の相殺と軒を接して建つ双堂と呼ばれる建築様式は、奈良時代のもの</p>

<p>大宝蔵院<br />
1998年完成の宝物館。東西に分かれた建物で、百済観音像や玉虫厨子など、日本を代表する宝物を多数展示する</p>

<p>夢殿<br />
聖徳太子を供養するために739（天平11）年に建てられたハ角円堂。中央の厨子に、聖徳太子等身と伝える飛鳥時代の秘仏救世観音像、聖観音菩薩像などを安置する</p>

<p>大講堂<br />
法隆寺最大の建物。僧が仏教を学ぷ場で、法要を行う施設でもある。落雷によって焼失し、990（正暦元）年に再建された。薬師三尊像および四天王像を安置する</p>

<p>鐘楼<br />
大講堂とともに落雷で焼失し、経蔵と同じ様式で平安時代に再建された。現在は年中行事のときのみ撞かれる。正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の鐘である</p>

<p>東室<br />
西室と対になる建物で、法隆寺に住む憎が生活していた僧房。奈良時代には大房と呼ばれ、東室の東側にある小子房と呼ばれる妻室には、従者が寝泊まりしていた</p>

<p>伝法堂<br />
聖武天皇夫人の住宅を仏堂に改造したもの。通常、仏堂には床を敷かないが、この建物は床が板張りとなっている。三組の阿弥陀三尊像ほか多くの仏像を安置する</p>

<p>五重塔<br />
日本最古の五重塔で、釈迦の遺骨を奉安。総高は約32.6m。初層内４面には、釈迦入寂の場面などの仏教伝説を表す塑像群が。非公開だが、扉の格子戸の隙間から垣間見える</p>

<p>聖霊院<br />
聖徳太子の尊像を安置するため、鎌倉時代に束室の南端部を改造して建設。内部には三つの厨子があり、中央の厨子に秘仏である聖徳太子45歳の像を安置する</p>

<p>金堂<br />
法隆寺の本尊、釈迦三尊像を安置。法隆寺最古の建築で､田崩しの高欄、屋根を支える雲形の組物などは飛鳥時代特有のもの。唐以前の中国建築の影響が見られる</p>

<p>中門<br />
西院伽藍の人口。深く覆いかぶさった軒、胴の中央がわずかに膨らんだエンタシスの柱などは、飛鳥建築の粋を集めたもの。左右の金剛力士像も日本最古</p>

<p>回廊<br />
金堂と五重塔の大きさが違うため、境内の広さの視覚的なバランスを保つべく、中門の西側より東側のほうが長い。緩いラインを描く梁に飛鳥の匠の美意識が見える</p>

<p>三経院<br />
聖徳太子が勝鬘経一雄摩経・法華経の三つの経典を注釈したことちなんで、西室の南端部を改造して鎌倉時代に建設。現在も三経の講義が行われる</p>

<p>経蔵<br />
以前は経典を納めていたが､現在は、百済の学僧で日本に天文や地理学を伝えた観勒僧正像を安置。法隆寺が再建できるほどの財宝が納められているという伝承もある<br />
</p>]]>
        
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    <title>平城宮跡</title>
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    <published>2008-12-28T16:55:24Z</published>
    <updated>2008-12-28T16:58:05Z</updated>

    <summary>平城宮跡は日本の世界遺産に登録されている奈良のお城である。日本で最初び本格的な都の機能を持った場所です。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産である平城宮跡はとにかく広い。その広さ、東京ドーム約26個分。敷地内の南北を車道が縦断し、東西を近鉄線が横切る。<br />
敷地内はいつでも自由に散策できるが、やみくもに歩き回るのは効率が悪いので、平城宮跡資料館、遺構展示館、朱雀門などを起点・目的地にして散策するのがよい。</p>

<p>この場所を訪れた多くの観光客が抱くという「何にもない」という印象は、ある意味では正しい。一見、ただの広大な原っぱなのである。復元されているのは、平城宮の表玄関であった朱雀門、東院庭園、宮内省の建物といったわずかなもの。</p>

<p>けれども、ここは遺構。見るべきものはむしろ、いまだ地中深く埋もれているのだ。<br />
そして何かが発見されるたびに、日本の歴史がまた一つ明らかになっていく。</p>

<p>見どころが多くない遺構だからこそ、ここでは散策をしながら思いを巡らせたい。１３００年の昔、この場所には天皇かおり、日本の未来を担う10万もの人々が働いていたのだ。この平城京を舞台として天平文化が花開き、その粋を集めて作られたものの多くが世界的に価値を認められ、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されている。平城宮跡とはいわば、奈良の世界遺産を生んだ親のようなものかもしれない。</p>]]>
        
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    <title>春日大社</title>
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    <published>2008-12-28T14:11:35Z</published>
    <updated>2008-12-28T14:25:56Z</updated>

    <summary>春日大社は日本の世界遺産に登録されているお寺で。近くにある奈良公園にいる鹿と深い関係がある。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている春日大社。その奈良公園といえば鹿。この鹿とゆかりの深いのが春日大社だ。春日大社は、奈良時代に平城京鎮護のため、常陸国から鹿島神を勧請したことに始まる、このとき鹿島神が白鹿に乗ってこられた。春日大社にとって、鹿は神の遣い。以来、一帯では鹿が大切にされるようになったのだ。</p>

<p>通常の神社では、社殿は更地に建てる場合が多い。ところがここでは整地をせず、山の斜面に溶け込むかのように社殿が建つ。回廊さえ斜面に建つため、「回廊をのぽりおりする」という、普通の神社ではめったにないことが起こるのだ。これは、。神住まう土地に手は加えないという、人々の心の現われ。その結果、建物に工夫が見られ、特に先生が目をこらしたのが、境内を入って右手の回廊の屋根である。</p>

<p>角に行くにしたがい、屋根を支える垂木が、屋根のカーーブと地面の傾斜とのバランスを取るかのように微妙にねじれ、断面も形を変えていく。なんでもこの技法、解明に半年もかかったとか。<br />
太古の技、ぜひ自分の目で確認されたし。</p>

<p>春日大社の祭神、鹿島神が降臨したといわれる春日出は神聖なるものとして、千年以上もの間、手厚く保護されてきた。同時にこの山は、僧侶にとっては自然信仰に基づく山岳修行の場でもあった。森林内には、その名残である石仏や石窟仏が点在する。狩猟伐採禁止というお触れを忠実に守ってきた人々の信仰心の強さが、改めて感じられる。</p>

<p>近鉄奈良駅から散策をはじめ、興福寺や東大寺を見学して春日大社にたどりつけば、そこはもう春日山の麓。山中は現在も神域で立ち入り禁止だが、遊歩道が完備されている場所では、ぜひ散策したい。</p>

<p>春日山の花山と御蓋山の2峰からなる一帯。841年（承和8）年に狩猟や伐木が禁止された。以来、自然信仰や春日信仰と結びついて聖域となり、手付かずの自然が守られてきた。約800種の植物や60種の鳥類などが生息し、1956（昭和31）年に特別天然記念物に指定された。</p>]]>
        
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    <title>元興寺</title>
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    <published>2008-12-28T13:58:22Z</published>
    <updated>2008-12-28T14:08:10Z</updated>

    <summary>元興寺は奈良にある日本の世界遺産に登録されている小さなお寺だ。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている元興寺は住宅地の一角に建つ。極楽堂と禅室の、2棟の建物が建つだけの小さな寺である。「極楽坊」と呼ばれるこの小寺が世界遺産に登録された大きな理由は、奈良時代の官大寺の僧房遺構であるため。日本最古といわれる瓦を屋根に敷く建物だ。</p>

<p>平安期、廃れゆく元興寺で、僧房だった極楽坊が独立して寺になるほど信仰を集め、寺名を今に引き継いだ。その原因となったのが、極楽坊の本尊の「智光曼荼羅」だ。<br />
奈良時代の僧、智光が、没した同僚の礼光と浄土世界に行く夢を見て、その光景を絵師に描かせたもの。智光、礼光の二人も登場するこの曼荼羅は、平安末期の末法思想や阿弥陀信仰の流行を背景に、庶民の絶大なる信仰を集めた。現在、智光曼荼羅は浄土三曼荼羅のＩつとされ、元興寺は「智光<br />
さんと礼光さんのお寺」である。</p>

<p>元興寺が庶民の信仰を集めたことは、収蔵庫をのぞけばわかる。展示されているのは、おびただしい数の庶民信仰資料。そういえばこの寺は、四方を民家に囲まれている。現在も庶民が寄り添う寺なのだ。</p>]]>
        
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    <title>興福寺</title>
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    <published>2008-12-28T12:57:54Z</published>
    <updated>2008-12-28T13:35:20Z</updated>

    <summary>興福寺は日本の世界遺産に登録されている奈良のお寺である。闘神の阿修羅像があまりにも有名な世界遺産。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている奈良のお寺である興福寺の国宝館の中八部衆立像の一つ、阿修羅像。いまやすっかり、写真やポスターなどでもおなじみの仏像だ。<br />
興福寺は、奈良時代から平安時代にかけて勢力を誇った。藤原氏の氏寺であり、一時は官寺の東大寺と肩を並べるほどの大寺院だった。けれど、時代の波には逆らえずに衰退の道を歩み、現在は五重塔や東金堂など世界遺産に登録されたわずかな建造物が、当時の輝きを今に伝えている。</p>

<p>そんな日本の世界遺産である興福寺にあって、輝きを放つもう一つの場所が国宝館だ。この寺は、日本有数の文化財の宝庫。所有する国宝と重要文化財は、約90点を数える。そして、館内に展示された数多くの文化財の中で、ダントツの人気を誇るのが阿修羅像である。<br />
凛々しく、憂いを帯びたその表情は、たしかに「阿修羅」という激しい名前にはそぐわない。身長153・4cmの体も荒々しい戦闘神とは思えぬほどなよなか。<br />
それでも、その立ち姿は、興福寺が大寺院だったころの誇りを決して忘れないかのように、気高い。</p>

<p>かつては、藤原一門の氏寺という格式を誇った興福寺。現在は、門もなければ塀もなく、いくつもの場所から境内に自由に入れることができ、奈良公園と一体化したような開放的な雰囲気にあふれている。境内に足を一歩踏み入れれば、あちこちで鹿がお出迎え。世界遺産に登録された国宝建造物が何棟も建ち並んでいるにもかかわらず、夜中でも境内の散策が可能で、五重塔越しに満月を眺める、なんてこともできるのだ。</p>

<p>現在、興福寺では境内中央に楷が設置され、中金堂の２０１０年再建など、境内復興整備計画が進められている。いつかきっと、かつての栄華をほうふつさせるような、極彩色に彩られた壮麗な伽藍が蘇るだろう。</p>]]>
        
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    <title>東大寺</title>
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    <published>2008-12-28T11:08:44Z</published>
    <updated>2008-12-28T12:52:00Z</updated>

    <summary>東大寺は日本の世界遺産に登録されているならのお寺です。世界最大の大仏も存在している奈良の大仏である。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産である東大寺の入り口の南大門からして圧倒的な迫力。高さ25ｍで日本最大級の門である。その先にそびえる大仏殿が、また巨大。幅57ｍ、奥行き50ｍ、高さ48ｍで現存する木造建築では世界最大級。世界遺産として価値を認められた、大仏様という建築様式だ。創建時は幅が88ｍもあったというから、恐れ入る。もちろん、中に鎮座する像高約15ｍの仏像も、世界最大の金銅仏。この寺のご本尊である。</p>

<p>京都の寺院とは、まったく異なる力強さ。日本が国家としてようやく歩み始めた奈良時代の人々の、「国を造る」というパワーが、東大寺にはみなぎっている。<br />
そんな思いで大仏を見上げていると、大仏殿の一角で笑い声が。一本の柱の根元に、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が開いており、人々がくぐりぬけを楽しんでいる。くぐりぬけが成功するたび、みんなで拍手。なごやかな光景だが、よく考えればここはお寺で一番神聖な本堂。そんな場所で笑い声が許されているなんて、日本一でかいご本尊は、懐のでかさも日本一なのだ。</p>

<p>建物が大きいだけでなく、敷地面積も広い東大寺。愉界的な遺産として価値あり、と認められた建造物が、大仏殿を中心に境内の広範囲にわたって点在する。<br />
　その中で、山下先生が強く見学を勧めるのが、境内東にある法華堂（三月堂）と、ほぼ正反対の西にある戒壇堂だ。法華堂には天平・鎌倉時代の16体の仏像が、戒壇堂には多宝塔と四天王立像が安置されている。特に、法華堂の本尊である不空扁索観音立像と、戒壇堂の四天王立像は、どれも写真などではおなじみの天平仏で、先生いわく「天平の有名タレント」。天平文化の傑作といわれている。<br />
「写真ではライティングなどで。化粧・をしているけど、お堂の中ではスッピンの彼らが見られるよ」</p>]]>
        
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    <title>唐招提寺</title>
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    <published>2008-12-21T15:51:42Z</published>
    <updated>2008-12-21T15:55:34Z</updated>

    <summary>唐招提寺は日本の世界遺産に登録されている奈良のお寺です。</summary>
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        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている唐招提寺の奈良時代の金堂としては唯一この国に残る、世界遺産にふさわしい貴重な天平建築だ。２０００年に始まった「平成の大修理」も、大詰め。<br />
今まで建物を覆っていた無粋な覆い屋も取り除かれ、８年ぶりにその威容を現した。</p>

<p>井上靖の名作『天平の蔓』は、唐の高僧鑑真と、彼の招聘に命をかけた日本の留学僧たちを描いた大河ドラマ。失明という苦難にあいながら日本を目指し、仏牧者が守るべき戒律を初めて伝えた鑑真の功績は大きい。その鑑真が住んでいたのが唐招提寺であり、作中に「天平の蔓」として登場するのが、金堂屋根に取り付けられた鴎尾だ。<br />
現在、その鵠尾は新宝蔵で展示されている。</p>

<p>金堂の完成に伴い、今まで別の場所で保管されていた本尊の盧舎那仏坐像、千手観音立像、薬師如来立像の三尊も戻ってきた。<br />
金堂の落成を祝う落慶法要は、２００９年Ｈ月。今から公開が待ち遠しい「古都奈良の文化財」に含まれるほかの寺とは異なり、境内に緑があふれる唐招提寺。ここは寺というより、昔も今も「鑑真さんのお住まい」である。</p>

<p>中国が誇る名僧でありながら、晩年を異国の地で送ると決めた鑑真。そんな鑑真は多くの弟子に慕われ、厳しい戒律の道場にもかかわらず、この寺には常に温かい空気が流れていた。開山堂を囲む土塀を眺めて、山ド先生が目を絹める。「きれいではないけれど、人々とお坊さんたちが一緒に作った感じがするよね」</p>

<p>そんな感想を抱いたのも、この寺に流れる空気を感じ取ったからにちがいない。</p>]]>
        
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    <title>薬師寺</title>
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    <published>2008-12-21T15:41:03Z</published>
    <updated>2008-12-21T15:56:03Z</updated>

    <summary>薬師寺は奈良にある日本の世界遺産です。現在でもなお進化し続けるお寺です。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている薬師寺は奈良のお寺です。戦後だけみても薬師寺の変化は著しい。１９６６年収蔵本、72年お写経道場、76年金堂、81年西塔、84年中門、91年玄奘三蔵院伽藍、２００３年夫講堂が再建され、その問に回廊も復興されている。しかも資金は、一般の人々からの写経永代供養料のみ。</p>

<p>台風や地震で荒れていた薬師寺を復興したのは、先々代の菅生、高田好胤。檀家をもたない薬師寺の復興に「お写経勧進」を思いつき、日本全国行脚を始めた。一文字一文字心をこめて写経することは、仏像を刻むのと同じこと。本来もつ清浄な心を写経によって取り戻す、と解き、それを求めた宗派を問わない人々の思いが集まったのだ。68年に始まった写経勧進は８年で百万巻、10億円に達し、金堂の再建に当てられた。現在も写経勧進は続いている。</p>

<p>今見る薬師寺は、まさに、国民が建てた伽藍なのである。建設にあたったのは、最後の宮大工といわれる西岡常一。「コンクリートは３００年しかもたないが、木は千年もつ」と木材での再建にこだわった。</p>

<p>「修学旅行での高田好胤さんの説法はホント、面白かったよね。これぞ本来のお寺さんのあり方だ」。山下先生も大いに納得。</p>

<p>薬師寺を回るとき、心したいのが、由緒あるお寺だからと言って、自分勝手に敷居を上げないこと。薬師三尊を金堂の外の灯龍前からかかんでみることを教えてくれたのは、ほかならぬお寺の方。</p>

<p>仏像もしかり。薬師寺には、奈良白鳳時代の仏像が多く、いずれも国宝。それに加え、近年造られた仏像も多い。「その中には、直接、手で触れられる仏様もいます」。<br />
まさにお寺の思いやりの賜物なのだ。その仏様は、人講堂にある釈迦十人弟子像。<br />
お釈迦様のお弟子たちと握手ができる唯一の場所。お写経勧進の人々への恩返し、ありかたくちょうだいしたい。</p>

<p>680（白雄31）年、天武天皇が皇后（後の持続天皇）の病気平癒を薬師如来に祈願し、それを本尊として薬師寺の建立を発願。<br />
天皇が皇后のために寺を建てたのは日本では薬師寺が初めて。<br />
持続天皇による薬師如来開眼供養などを経て､698（朱鳥13）年、文武天皇による、講堂阿弥陀仏開眼によって完成を見る。平城京遷都を期に､718（養老２）年、現在の場所に移った。その後も地震や台風などで伽藍の消失、再建が繰り返されてきた。法相宗大本山。</p>]]>
        
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    <title>比叡山延暦寺</title>
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    <published>2008-12-21T15:19:16Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:30:09Z</updated>

    <summary>比叡山延暦寺は日本の世界遺産に登録されている。時空を超え、多くの名僧を輩出した修行の山です。</summary>
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        <category term="古都京都の文化財" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている比叡山延暦寺は『古都京都の文化財』という名称で世界遺産に登録された全17寺社のなかで、唯一、滋賀県にまたがる比叡山延暦寺。</p>

<p>標高８４８ｍの大比叡を中心に、周囲約１００』の寺域、創建から１２００年以上保ち続ける歴史、その空間と時間の規模の大きさもさることながら、圧巻は、学徒数と、ここを巣立っていった僧たちの名前だ。平安時代の全盛期には、３０００人の僧侶が学び、輩出された僧は、最澄にはじまり、親鸞、日蓮、法然、栄西、道元、円仁、円珍と、高僧の名がずらり。さながら仏教界の東大といったところ。一時、最澄が空海から密教の教えを請うたことを考えれば、歴史に名を残すほとんどの高僧が延暦寺と関ったことになる。１２００年後の現代、瀬戸内寂聴もこの地で学んだ。</p>

<p>東塔の中心、根本中堂の内部には、最澄が掲げた灯明「不滅の法灯」が、今も光を放ち続ける。その絶大な力ゆえ、鎌倉時代以降の武家社会では、たびたび権力闘争に巻き込まれ、戦渦にあった。しかし、一方で豊臣家や徳川家の庇護を受け、復興も早かった。比叡山延暦寺は、平安時代以降の日本の歴史をすっぽり包み込む偉大な宇宙なのだ。</p>

<p>比叡山延暦寺は参拝というよりトレッキング気分がふさわしい。<br />
１日で東塔、西塔、横川を制覇するなら、バスかタクシーを使うしかない。ちなみに東塔へは、京都市内からはハ瀬、滋賀県側は坂本からケーブルカーとロープウェイで。</p>

<p>けれど、この聖なる山を満喫するなら、やはり徒歩が一番。特に、西塔と横川間の約４』は、比叡山を南北に走る尾根沿いに歩け、眼下に大原や琵琶湖を臨める。</p>

<p>境内のメインは、最澄が草庵を結んだ地、東塔。ここには国宝の根本中堂がある。横川は、親鸞や日蓮が修行した場所。西塔は、90日間、堂にこもって「南無阿弥陀仏」を唱えながら堂内を歩き続ける常行三昧を行う場所。ここの空気はことのほか神聖に感じる。</p>

<p>延暦寺にある国宝は根本中堂のみ。多くが織田信長によって焼き払われてしまったからだ。ここでは仏像や建造物より、日本の仏教史をつむいできた空気を吸いつくしすのが正しい歩き方かも。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/hieizan.html" target="_blank">比叡山延暦寺</a></p>]]>
        
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    <title>二条城</title>
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    <published>2008-12-11T15:14:21Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:28:12Z</updated>

    <summary>二条城は日本の世界遺産に登録されているお城です。そこにある国宝絵画の数は国内有数のものです。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている二条城は雅な平安の王朝文化が息づく京都に、忽然と現れた江戸・徳川将軍の城。完成は、江戸幕府誕生の１６０３（慶長８）年。そして、１８６７（慶応３）年、江戸幕府が崩壊を告げる大政奉還発表の場となったことを最後に、大役を終えた。その２６４年間、二条城は京都に対する江戸幕府の一大ＰＲ会場のごとく、都に君臨したのだ。<br />
征夷大将軍となることを望んだ徳川家康が二条城築城を命じてから、二の丸御殿の完成までは２年間。建築面積３３００㎡、部屋敷33、畳８００畳分の巨大な御殿が、あっという間に造られたわけだ。</p>

<p>日本の世界遺産の二条城１６２６（寛永３）年、後水尾天皇の二条城行幸が決まると、今度は障壁画の製作に着手。なんとその数３０００面。<br />
幕府お抱えの絵師だった狩野探幽をディレクターに、狩野派の絵師が一丸となった特大プロジェクトだった。二条城建設は、対京都、対天皇への家康のコンプレックス解消事業だったのかもしれない。</p>

<p>絢爛豪華な唐門を入ると、まず車寄。欄間彫刻さえ、表裏で模様が異なる凝りよう。遠侍は控えの間でありながら４室もあり、二の丸御殿で最大の広さを誇る。遠侍北側の勅使の間は、将軍が朝廷からの使者を迎えた控えの間だ。続く式台の問で、大名が老中職とあいさつ。将軍への献上品もここで渡された。いよいよ大広問。部屋数は４つ。それぞれ40畳以上あり、四の間の障壁画は狩野探幽作とされる。蘇鉄の問という名の廊下を経ると、将軍と大名の会議室ともいえる黒書院。さらに長い廊下を経て、将軍のプライベートルーム白書院へ。</p>

<p>見事な書院造の城でありながら、１６３４（寛永１１１１）年から２２９年間、将軍はコ茨も入城していない。もったいない話である。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/nijojo.html" target="_blank">二条城</a></p>

<p>＜にじょうじょう＞<br />
徳川家康の命で、1603（慶長８）年、京都御所の守護と将軍の上洛時の居館として築城。1626（寛永３）年、後水尾天皇行幸のため、徳川家光が本丸、天守閣を完成させ現在の規模に。天皇行幸は5日間、数千人が訪れたという。1634（寛永11）年、家光が30万の大軍を率いて入城して以来229年間は数十人の留守番が世話に。その間、落雷や火災で天守閣や本丸が焼失。1884（明治17）年、二条離宮となり、9年後、京都御所桂宮御殿を本丸に移築。1939年（昭和14）年、宮内省より京都市に下賜された。広さ27万5000㎡。</p>]]>
        
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    <title>下鴨神社</title>
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    <published>2008-12-11T15:10:13Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:19:52Z</updated>

    <summary>下鴨神社は日本の世界遺産に登録されている京都のお寺です。広大な原始の森に囲まれたところに下鴨神社はあります。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産である下鴨神社の祭神の一柱である玉伝授命は、上賀茂神社の祭神である賀茂別宿命の母親だ。よって下鴨神社は常に、上賀茂神社とほぼ同じ歴史を歩んできた。日本の世界遺産に登録された理由も同じ。もともとこの二つの社は切り離して考えることはできず、京都では二つ合わせて「賀茂社」なのだ。</p>

<p>下鴨神社の大きな楽しみどころは、アプローチ。参道は「礼の森」と呼ばれる、樹齢２００～６００年の樹木が約６００木生い茂る原生林の中を貫いている。巨木の群れにすっぽりと包み込まれてしまえば、京<br />
都市中とは思えないほどの静けさ。「心が洗われちゃうね」と言うとおり、凛とした雰囲気が漂っている。そして、約５００ｍのこの森を抜け、すっかり機れを落とした気分になったところで、朱塗りの鳥居と楼門がお出迎え。なかなかうまい舞台装置なのである。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/shimogamojinja.html" target="_blank">下鴨神社</a></p>

<p>下鴨神社〈しもがもじんじや〉<br />
賀茂建角身命と玉依媛命の二桂を祭り、正しくは賀茂御姐（かもみおや）神社。上賀茂神社と同様に賀茂氏の氏神で、平安京遷都後に皇威鎮護の役目を担った。社殿の造営は678（天武6）年と伝えられるが、紀元前の崇神天皇の時代に端垣の修復が行われたという記録も残る。社殿の多くは1628（寛永5）年に造り替えられたもので、2棟が国宝、53棟が重要文化財。境内を包み込んで広がる礼の森は太古の植生として貴重で､縄文時代の祭祀土器が数多く発見されている。</p>]]>
        
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    <title>上賀茂神社</title>
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    <published>2008-12-11T15:06:30Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:18:56Z</updated>

    <summary>上賀茂神社は日本の世界遺産に登録されている京都のお寺です。見事な朱色の鳥居をくぐるとそこは神の世界。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産の上賀茂神社は朱塗りの鳥居と楼門以外、ほぼすべて古色を帯びた社殿。<br />
過剰な飾り立てはいっさいなし。けれども、その歴史は絢爛な輝きに包まれている。平安京の守護神と崇められ、伊勢神宮に次ぐ社格をもち、国家の重大事には何かと頼りにされた社なのである。建ち並ぶ平安建築のうち、２棟が国宝で、41棟が重要文化財。世界遺産に登録される資質も十分に備えている。</p>

<p>上賀茂神社は、神社では珍しく、神職が案内してくれる「特別拝観」を実施している。国宝の本殿や権殿を間近で拝むことができ、さらに神職に説明までしてもらえるのだ。ぜひ、申し込んでみたい。そして、この神社で忘れてはならないのが、毎年５月15日に行われる一大ページェント、葵祭。平安装束に身を包んだ行列が京都の町を進む光景は、とにかく艶やかのひとことだ。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/kamigamojinja.html" target="_blank">上加茂神社</a></p>]]>
        
    </content>
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    <title>高山寺</title>
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    <published>2008-12-11T14:59:09Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:31:41Z</updated>

    <summary>高山寺は日本の世界遺産に登録されている京都のお寺である。住んでみたい世界遺産候補のナンバーワンですね。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>日本の世界遺産に登録されている京都のお寺である高山寺に行けば。<br />
「あっ、あそこを見て。明恵上人像の絵にそっくりだよ。明恵さんが木の上で瞑想していた様子が目に浮かぶね」。裏参道の最後の階段を上ると飛び込んでくる風景。<br />
うっそうと茂る大木は、まさに国宝に描かれている上人の瞑想の図を思わせる。</p>

<p>日本の世界遺産の高山寺へは洛中から車で約40分。清滝川に沿って高尾、椎尾、栂尾、合わせて「三尾」と呼ばれる紅葉のメッカの最奥、栂尾に高山寺はある。自然を愛し、命あるものすべてをいとおしみ、あくまで無欲に生きながら、修行に関しては厳しく自身を律した明恵。後鳥羽上皇から下賜されたこの地で、彼は文字通り修行三昧の日々を送った。</p>

<p>階段を上った右手には、明恵の住居跡とされる石水院、反対側には日本最古の茶園がある。建仁寺の栄西にもらった茶の種を清滝川の対岸に撒き、明恵は大事に育てた。<br />
「高山寺に来るときには、ぜひ予習してくるべきだね。明恵上人がどんな人かを。それがわかっていると、感動は倍増する」。</p>

<p>そして、もう一つ。忘れてならないのが国宝『鳥獣人物戯画』。誕生の地で見る感慨はひとしおのはず。</p>

<p>石水院は、鎌倉時代の貴重な建造物として国宝に指定され、世界遺産登録の大きな理由にもなった。善財童子が置かれた部屋の床板は、創建時からある屋久杉の板。築年数分の柔らか昧を帯びている。天井板は１０００年前の高野槙。さらに、壁には明恵上人直筆の遺訓。「いつ重要文化財に指定さ<br />
れてもおかしくない」というお寺の執事の言葉に、山下先生は満面の笑みを浮かべた。</p>

<p>そして、噂の明恵上人像を前に正座したかと思うと、「さあ、この絵にリスがいます。<br />
どこでしょう。鳥もいます」。次に高山寺を訪れるとき、ぜひ探してみてほしい。</p>

<p>それにしても、石水院はやさしい。濡れ縁に座り、迫る縁を眺め、時折、鳥獣戯画にライトを当てて遊んでみたり。そうするうちに、ここが寺だということを忘れ、明恵上人の世界に溶け込んでいることに気付<br />
かされる。国宝建造物でこんなに自由気ままにくつろげる場所は、ほかにない。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/kozanji.html" target="_blank">高山寺</a></p>

<p>高山寺＜こうざんじ＞<br />
奈良時代末期の創建と伝わり、平安時代から神護寺の別院に。1206（建永元）年、後鳥羽上皇にこの地を与えられた明恵上人が、中興の祖として再建を果たした。高山寺の名は、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺」という勅願を賜ったことによる。<br />
中世以降、たびかさなる戦火や火災で焼失し､多くの伽藍を失った。<br />
唯一、創建当初の姿で残るのが石水院。大半は、江戸時代初期に再建された。明恵上人を慕い、川端<br />
康成や南方熊楠、白洲正子など多くの文人にも愛されている。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
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    <title>西芳寺</title>
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    <published>2008-12-11T14:54:45Z</published>
    <updated>2009-01-01T08:20:49Z</updated>

    <summary>西芳寺は日本の世界遺産に登録されている京都のお寺です。苔寺で有名なこの場所は予約をしないと入ることのできない世界遺産の一つ。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://onseno03.com/">
        <![CDATA[<p>「苔寺」の名で有名な西芳寺。ここも天龍寺同様、夢窓疎石が整備した庭園が、世界遺産に登録されたポイント。足利義満や義政などの将軍たちを夢中にさせた庭園だ。</p>

<p>庭園は小門の「向上関」を境に上下二股にわかれ、苔寺の名を高めたのが、黄金地を中心とした下段の回遺式庭園だ。とにかく遊歩道以外の地面を苔が覆い尽くす光景は、庭園美の極致。一方の上段は、趣をがらりと変えた日本最古の枯山水庭園。超一流の作庭家が手がけた、まったく異なる二つの庭園をもつ寺など、そうないだろう。</p>

<p>にもかかわらず、西芳寺の拝観には二の足を踏む人が多い。事前の申し込みと、やや高めの冥加金、さらに見学前に写経などの宗教行事に参加する必要があるためだ。</p>

<p>けれども、ここはお寺。宗教行事があることに何の不思議もない。拝観制限も、周辺環境と苔を守るための措置。実際に訪れ、この世のものとは思えないモスグリーンの空間に身を置けば、山下先生の言う「敷居の高さもやむなし」を実感するはずだ。</p>

<p>参考になるサイト<br />
<a href="http://onseno05.com/japan/saihoji.html" target="_blank">西芳寺</a></p>

<p>西芳寺〈さいほうじ〉<br />
苔寺の別称で広く知られる。聖徳太子の別荘跡と伝わる場所に、天平年間（729～749）、行基が法相宗の寺として創建。その後、建久年間（1190～1199）に法然によって浄土宗に宗派を変え、さらに1339（暦応2）年に夢窓疎石によって臨済宗の寺となって今に至る。疎石は同時に、寺名をそれまでの西方寺から西芳寺に改めた。周辺環境を保護するため、1977（昭和52）年より拝観には申し込みが必要とたっている。</p>]]>
        
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