古都京都の文化財

醍醐寺

醍醐山すべてを境内とする日本の世界遺産である醍醐寺。広大な寺域内の主な見所は、山ろくの下醍醐、山上の上醍醐、塔頭寺院の三宝院の、大きく3つに分かれる。そして、世界遺産として価値を認められた建物の中で、代表的なものの一つが、下醍醐の一角に建つ五重塔だ。
これは951(天暦5)年に建造されて以来、応仁の乱による焼失も免れた、日本の世界遺産が多く点在する京都で最古の木造建築。高さは約38mだが、その3分の1を屋根から伸びる相輪が占めていることに注目。どっしりとした重量感を感じさせるのは、このためだ。名塔の呼び声が高い、骨太の塔である。

下醍醐から細くうねる山道を登ること、約1時間半。醍醐寺発祥の地である上醍醐では、木の間隠れに諸堂が点在する。この寺が山岳寺院だったころの面影を強く残す上醍醐では、信仰の地の霊気に浸りたい。

そして、最大の塔頭寺院である三宝院では、豊臣秀吉みずから設計した庭園を愛でよう。大量の巨石を惜しげもなく使い、土、橋、板橋、石橋、三段の滝や二つの中島などを配した庭は、ダイナミックかつ華やかで、天下人にふさわしい豪華版。

2009年1月21日|

カテゴリー:古都京都の文化財

比叡山延暦寺

日本の世界遺産に登録されている比叡山延暦寺は『古都京都の文化財』という名称で世界遺産に登録された全17寺社のなかで、唯一、滋賀県にまたがる比叡山延暦寺。

標高848mの大比叡を中心に、周囲約100』の寺域、創建から1200年以上保ち続ける歴史、その空間と時間の規模の大きさもさることながら、圧巻は、学徒数と、ここを巣立っていった僧たちの名前だ。平安時代の全盛期には、3000人の僧侶が学び、輩出された僧は、最澄にはじまり、親鸞、日蓮、法然、栄西、道元、円仁、円珍と、高僧の名がずらり。さながら仏教界の東大といったところ。一時、最澄が空海から密教の教えを請うたことを考えれば、歴史に名を残すほとんどの高僧が延暦寺と関ったことになる。1200年後の現代、瀬戸内寂聴もこの地で学んだ。

東塔の中心、根本中堂の内部には、最澄が掲げた灯明「不滅の法灯」が、今も光を放ち続ける。その絶大な力ゆえ、鎌倉時代以降の武家社会では、たびたび権力闘争に巻き込まれ、戦渦にあった。しかし、一方で豊臣家や徳川家の庇護を受け、復興も早かった。比叡山延暦寺は、平安時代以降の日本の歴史をすっぽり包み込む偉大な宇宙なのだ。

比叡山延暦寺は参拝というよりトレッキング気分がふさわしい。
1日で東塔、西塔、横川を制覇するなら、バスかタクシーを使うしかない。ちなみに東塔へは、京都市内からはハ瀬、滋賀県側は坂本からケーブルカーとロープウェイで。

けれど、この聖なる山を満喫するなら、やはり徒歩が一番。特に、西塔と横川間の約4』は、比叡山を南北に走る尾根沿いに歩け、眼下に大原や琵琶湖を臨める。

境内のメインは、最澄が草庵を結んだ地、東塔。ここには国宝の根本中堂がある。横川は、親鸞や日蓮が修行した場所。西塔は、90日間、堂にこもって「南無阿弥陀仏」を唱えながら堂内を歩き続ける常行三昧を行う場所。ここの空気はことのほか神聖に感じる。

延暦寺にある国宝は根本中堂のみ。多くが織田信長によって焼き払われてしまったからだ。ここでは仏像や建造物より、日本の仏教史をつむいできた空気を吸いつくしすのが正しい歩き方かも。

参考になるサイト
比叡山延暦寺

2008年12月22日|

カテゴリー:古都京都の文化財

二条城

日本の世界遺産に登録されている二条城は雅な平安の王朝文化が息づく京都に、忽然と現れた江戸・徳川将軍の城。完成は、江戸幕府誕生の1603(慶長8)年。そして、1867(慶応3)年、江戸幕府が崩壊を告げる大政奉還発表の場となったことを最後に、大役を終えた。その264年間、二条城は京都に対する江戸幕府の一大PR会場のごとく、都に君臨したのだ。
征夷大将軍となることを望んだ徳川家康が二条城築城を命じてから、二の丸御殿の完成までは2年間。建築面積3300㎡、部屋敷33、畳800畳分の巨大な御殿が、あっという間に造られたわけだ。

日本の世界遺産の二条城1626(寛永3)年、後水尾天皇の二条城行幸が決まると、今度は障壁画の製作に着手。なんとその数3000面。
幕府お抱えの絵師だった狩野探幽をディレクターに、狩野派の絵師が一丸となった特大プロジェクトだった。二条城建設は、対京都、対天皇への家康のコンプレックス解消事業だったのかもしれない。

絢爛豪華な唐門を入ると、まず車寄。欄間彫刻さえ、表裏で模様が異なる凝りよう。遠侍は控えの間でありながら4室もあり、二の丸御殿で最大の広さを誇る。遠侍北側の勅使の間は、将軍が朝廷からの使者を迎えた控えの間だ。続く式台の問で、大名が老中職とあいさつ。将軍への献上品もここで渡された。いよいよ大広問。部屋数は4つ。それぞれ40畳以上あり、四の間の障壁画は狩野探幽作とされる。蘇鉄の問という名の廊下を経ると、将軍と大名の会議室ともいえる黒書院。さらに長い廊下を経て、将軍のプライベートルーム白書院へ。

見事な書院造の城でありながら、1634(寛永1111)年から229年間、将軍はコ茨も入城していない。もったいない話である。

参考になるサイト
二条城

<にじょうじょう>
徳川家康の命で、1603(慶長8)年、京都御所の守護と将軍の上洛時の居館として築城。1626(寛永3)年、後水尾天皇行幸のため、徳川家光が本丸、天守閣を完成させ現在の規模に。天皇行幸は5日間、数千人が訪れたという。1634(寛永11)年、家光が30万の大軍を率いて入城して以来229年間は数十人の留守番が世話に。その間、落雷や火災で天守閣や本丸が焼失。1884(明治17)年、二条離宮となり、9年後、京都御所桂宮御殿を本丸に移築。1939年(昭和14)年、宮内省より京都市に下賜された。広さ27万5000㎡。

2008年12月12日|

カテゴリー:古都京都の文化財

下鴨神社

日本の世界遺産である下鴨神社の祭神の一柱である玉伝授命は、上賀茂神社の祭神である賀茂別宿命の母親だ。よって下鴨神社は常に、上賀茂神社とほぼ同じ歴史を歩んできた。日本の世界遺産に登録された理由も同じ。もともとこの二つの社は切り離して考えることはできず、京都では二つ合わせて「賀茂社」なのだ。

下鴨神社の大きな楽しみどころは、アプローチ。参道は「礼の森」と呼ばれる、樹齢200~600年の樹木が約600木生い茂る原生林の中を貫いている。巨木の群れにすっぽりと包み込まれてしまえば、京
都市中とは思えないほどの静けさ。「心が洗われちゃうね」と言うとおり、凛とした雰囲気が漂っている。そして、約500mのこの森を抜け、すっかり機れを落とした気分になったところで、朱塗りの鳥居と楼門がお出迎え。なかなかうまい舞台装置なのである。

参考になるサイト
下鴨神社

下鴨神社〈しもがもじんじや〉
賀茂建角身命と玉依媛命の二桂を祭り、正しくは賀茂御姐(かもみおや)神社。上賀茂神社と同様に賀茂氏の氏神で、平安京遷都後に皇威鎮護の役目を担った。社殿の造営は678(天武6)年と伝えられるが、紀元前の崇神天皇の時代に端垣の修復が行われたという記録も残る。社殿の多くは1628(寛永5)年に造り替えられたもので、2棟が国宝、53棟が重要文化財。境内を包み込んで広がる礼の森は太古の植生として貴重で、縄文時代の祭祀土器が数多く発見されている。

2008年12月12日|

カテゴリー:古都京都の文化財

上賀茂神社

日本の世界遺産の上賀茂神社は朱塗りの鳥居と楼門以外、ほぼすべて古色を帯びた社殿。
過剰な飾り立てはいっさいなし。けれども、その歴史は絢爛な輝きに包まれている。平安京の守護神と崇められ、伊勢神宮に次ぐ社格をもち、国家の重大事には何かと頼りにされた社なのである。建ち並ぶ平安建築のうち、2棟が国宝で、41棟が重要文化財。世界遺産に登録される資質も十分に備えている。

上賀茂神社は、神社では珍しく、神職が案内してくれる「特別拝観」を実施している。国宝の本殿や権殿を間近で拝むことができ、さらに神職に説明までしてもらえるのだ。ぜひ、申し込んでみたい。そして、この神社で忘れてはならないのが、毎年5月15日に行われる一大ページェント、葵祭。平安装束に身を包んだ行列が京都の町を進む光景は、とにかく艶やかのひとことだ。

参考になるサイト
上加茂神社

2008年12月12日|

カテゴリー:古都京都の文化財

高山寺

日本の世界遺産に登録されている京都のお寺である高山寺に行けば。
「あっ、あそこを見て。明恵上人像の絵にそっくりだよ。明恵さんが木の上で瞑想していた様子が目に浮かぶね」。裏参道の最後の階段を上ると飛び込んでくる風景。
うっそうと茂る大木は、まさに国宝に描かれている上人の瞑想の図を思わせる。

日本の世界遺産の高山寺へは洛中から車で約40分。清滝川に沿って高尾、椎尾、栂尾、合わせて「三尾」と呼ばれる紅葉のメッカの最奥、栂尾に高山寺はある。自然を愛し、命あるものすべてをいとおしみ、あくまで無欲に生きながら、修行に関しては厳しく自身を律した明恵。後鳥羽上皇から下賜されたこの地で、彼は文字通り修行三昧の日々を送った。

階段を上った右手には、明恵の住居跡とされる石水院、反対側には日本最古の茶園がある。建仁寺の栄西にもらった茶の種を清滝川の対岸に撒き、明恵は大事に育てた。
「高山寺に来るときには、ぜひ予習してくるべきだね。明恵上人がどんな人かを。それがわかっていると、感動は倍増する」。

そして、もう一つ。忘れてならないのが国宝『鳥獣人物戯画』。誕生の地で見る感慨はひとしおのはず。

石水院は、鎌倉時代の貴重な建造物として国宝に指定され、世界遺産登録の大きな理由にもなった。善財童子が置かれた部屋の床板は、創建時からある屋久杉の板。築年数分の柔らか昧を帯びている。天井板は1000年前の高野槙。さらに、壁には明恵上人直筆の遺訓。「いつ重要文化財に指定さ
れてもおかしくない」というお寺の執事の言葉に、山下先生は満面の笑みを浮かべた。

そして、噂の明恵上人像を前に正座したかと思うと、「さあ、この絵にリスがいます。
どこでしょう。鳥もいます」。次に高山寺を訪れるとき、ぜひ探してみてほしい。

それにしても、石水院はやさしい。濡れ縁に座り、迫る縁を眺め、時折、鳥獣戯画にライトを当てて遊んでみたり。そうするうちに、ここが寺だということを忘れ、明恵上人の世界に溶け込んでいることに気付
かされる。国宝建造物でこんなに自由気ままにくつろげる場所は、ほかにない。

参考になるサイト
高山寺

高山寺<こうざんじ>
奈良時代末期の創建と伝わり、平安時代から神護寺の別院に。1206(建永元)年、後鳥羽上皇にこの地を与えられた明恵上人が、中興の祖として再建を果たした。高山寺の名は、後鳥羽上皇から「日出先照高山之寺」という勅願を賜ったことによる。
中世以降、たびかさなる戦火や火災で焼失し、多くの伽藍を失った。
唯一、創建当初の姿で残るのが石水院。大半は、江戸時代初期に再建された。明恵上人を慕い、川端
康成や南方熊楠、白洲正子など多くの文人にも愛されている。


2008年12月11日|

カテゴリー:古都京都の文化財

西芳寺

「苔寺」の名で有名な西芳寺。ここも天龍寺同様、夢窓疎石が整備した庭園が、世界遺産に登録されたポイント。足利義満や義政などの将軍たちを夢中にさせた庭園だ。

庭園は小門の「向上関」を境に上下二股にわかれ、苔寺の名を高めたのが、黄金地を中心とした下段の回遺式庭園だ。とにかく遊歩道以外の地面を苔が覆い尽くす光景は、庭園美の極致。一方の上段は、趣をがらりと変えた日本最古の枯山水庭園。超一流の作庭家が手がけた、まったく異なる二つの庭園をもつ寺など、そうないだろう。

にもかかわらず、西芳寺の拝観には二の足を踏む人が多い。事前の申し込みと、やや高めの冥加金、さらに見学前に写経などの宗教行事に参加する必要があるためだ。

けれども、ここはお寺。宗教行事があることに何の不思議もない。拝観制限も、周辺環境と苔を守るための措置。実際に訪れ、この世のものとは思えないモスグリーンの空間に身を置けば、山下先生の言う「敷居の高さもやむなし」を実感するはずだ。

参考になるサイト
西芳寺

西芳寺〈さいほうじ〉
苔寺の別称で広く知られる。聖徳太子の別荘跡と伝わる場所に、天平年間(729~749)、行基が法相宗の寺として創建。その後、建久年間(1190~1199)に法然によって浄土宗に宗派を変え、さらに1339(暦応2)年に夢窓疎石によって臨済宗の寺となって今に至る。疎石は同時に、寺名をそれまでの西方寺から西芳寺に改めた。周辺環境を保護するため、1977(昭和52)年より拝観には申し込みが必要とたっている。

2008年12月11日|

カテゴリー:古都京都の文化財

天龍寺

日本の世界遺産としての天龍寺の価値は、方丈西に広がる庭園にある。幾度も焼失を繰り返した境内で、唯一、造られた当時の姿を残す庭。造った人は夢窓疎石。鎌倉期から室町期にかけて活躍し、随一の名僧にして名作庭家といわれたカリスマ的禅僧である。疎石は作庭の際、背後の嵐山や亀山を、庭の風景の一部として取り入れた。いわゆる「借景」という手法だ。日本に借景式庭園は多いが、天龍寺の庭園はそのハシリ。
確かに、方丈の広縁に腰を下ろして庭を眺めていると、どこからが庭で、どこからが山かわからなくなってくる。

禅寺の庭というと、難しく考えてしまいがちだが、ここでは第一級の山水画のような美しさに単純に感動すればよい。眺めているうちに「心地よくて眠くなっちやった」というのも、庭園に対する立派な感想だ。

参考になるサイト
天龍寺

天龍寺<てんりゅうじ>
臨済宗天龍寺派大本山。禅僧、夢窓疎石のすすめで、足利尊氏が1339(暦応2)年に創建。後醍醐天
皇の菩提寺として、後嵯峨上皇の亀山離宮跡で造営が始まり、伽藍が整ったのは1343(康永2)年。後に150もの塔頭寺院を有し、京都五山の第一位の寺格を誇った。1864(元治元)年の禁門の変の際には長州藩の屯営となったため、放火を浴び炎上。
現在の伽藍は、明治時代以降に再建された。疎石の作庭とされる庭園は、国の史跡・特別名勝。

2008年12月 8日|

カテゴリー:古都京都の文化財

仁和寺

威圧的な二王門に、真言宗御室派総本山という格式。なんだかいかめしく感じる仁和寺だが、この寺には、とても寺院とは思えない典雅な空間がある。それが境内南西の「御殿」と呼ばれる一角だ。

確かに寝殿、白書院、黒書院などの建物が渡り廊下で結ばれた空間は、宮中を思わせる。中心となる寝殿は、大正時代に再建されてはいるか、元は京都御所から賜った由緒ある建物。かつてはここに、出家した天皇がおわしたのだ。気高い雰囲気に満ちているのも当然。「京都御所は建物の中には入れないけど、ここは見学が可能。御所の疑似体験ができる場所だよね」

そして仁和寺には、多くの人が強く鑑賞をすすめる国宝がある。それが「世界最高の仏画!」と断言する『孔雀明王像』。霊宝館で、毎年10月1~15日に公開されるので要チェック。そしてもうIつが、高さ10・7mの『薬師如来坐像』。思わず「可愛い」と言いたくなるほど小さな仏像だ。こちらは秘仏のためで非公開だが、憲明殿に同じ形をした御前立が安置されている。

端整な伽藍配置の仁和寺。二王門をくぐると広い参道が一直線に北へ伸び、朱塗りの中門越しに、本堂である国宝の金堂が見える。
仁和寺が世界遺産に登録された理由のひとつが、この金堂だ。京都御所の紫宸殿を江戸時代初期に移したもので、現存する最古の紫宸殿の遺構。桃山時代の宮殿建築を伝える貴重な建物だ。それでい
て、屋根は紫宸殿当時の檜皮から、寺院風の本瓦にリニューアル。宮殿建築と仏教建築の融合が一風変わった魅力を醸し、建築物としての価値をより一層高めている。

どこまでも優雅な境内は、できれば桜の季節に訪れたい。仁和寺名物の御室桜が盛りを迎えるのは、4月中旬から後半にかけて。
ちょうど春の名宝展が開催される時期でもあるので、桜、お宝、プチ御所がいっぺんに楽しめる。

参考になるサイト
仁和寺


仁和寺<にんなじ>
真言宗御室派の総本山。 886 (仁和2)年、光孝天皇が造営に着手するも半ばで崩御し、子の宇多天皇が引き継いで2年後に創建。その後、宇多天皇は退位して仁和寺で出家し、「御室」と呼ばれる僧房を造営。以来、仁和寺は皇子や貴族が住職を務めるわが国初の門跡寺院となった。
境内の建物は応仁の乱で焼失後、寛永年間(1624~1644)に、徳川家光の寄進によって再建された。
現在、一帯は「御室」と呼ばれ、遅咲きの御室桜の名所としても知られる。

2008年12月 8日|

カテゴリー:古都京都の文化財

龍安寺

方丈の枯山水庭園の、15個の石。7つ、5つ、3つとかたまって置かれているためつt五三の庭」、虎の親が子と川を渡るように見えるため「虎の子渡しの庭」などと呼ばれる。「この庭は一体何なのだ」と考えたものの、結局こたえが見つからなかった人々が与えた呼び名だ。それほど、この庭は人々を惑わしてきた。
そんな石庭を最初に評価したのは、エリザベス女王や哲学者サルトルなどの外国人。石庭の名はまたたく問に知れ渡り、今では世界でもっとも有名な日本庭園だ。

「外国人にとって石庭は、一種の抽象芸術のように映ったんだろうね。そして外国人が褒めるのを見て、日本人もはじめてこの庭の良さに気づいたんだ。ディスカバー・ジャパンは龍安寺から始まったのかもしれないよ」と、そこで足元に目を向けると、丈の広縁の縁がすっかり磨り減って丸みを帯びている。

「見てごらん。この丸みが、みんながここに座っていろいろ考えた歴史を物語っているよね」
龍安寺は、方丈の広縁に腰をおろして黙考する時間を勘定に入れて訪れたい。
龍安寺を訪れる人は、たいていは石庭を見にやってくる。けれども、そんな人々を驚かすのが、山門の先に広がる、鏡容池を中心にした広大な回遊庭園。四季折々の花が自慢のこの庭園は、近代までは、石庭よりも有名で、多くの人を集めた。桜にはうるさい豊臣秀吉も境内で盛大な花見の宴を開き、「鳥獣を殺すな。木々を切るな」との高札を立てたほどお気に入りだったという。

佗び寂びの精神に基づく禅寺の簡素な庭と、四季の花々に彩られた華やかな庭。二つの異なる庭園を持つところが、龍安寺の大きな魅力でもある。
「石庭だけ見て帰るなんて、そんなにもったいないことはできないよね」と、山下先生は石庭の見学を終えると、境内を散策。お寺が抱える専属の植木職人が丹精込めて手入れをしているだけあって、回遊庭園の美しさは格別。謎の石庭を眺めて凝った頭も、心なしかほぐれていくようだ。

参考になるサイト
龍安寺

龍安寺<りょうあんじ>
臨済宗妙心寺派。 1450 (宝徳2)年、平安時代の貴族徳大寺家の山荘を、室町幕府の管領だった細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天を開山に招き創建。応仁の乱で全焼し、勝元の実子改元が復興に着手。その後、細川家の菩提寺として、豊臣秀吉や徳川家などから庇護を受けた。有名な石庭は、499(明応8)年に方丈が建立された際の造営といわれるが、詳細は不明。1797(寛改9)年、方丈などを焼失し、のちに塔頭の西源院から方丈を移築。

2008年12月 8日|

カテゴリー:古都京都の文化財

日本の世界遺産を
たくさん紹介している
便利なサイトです。